私のこの忠告が役に立てば、君は今の状況にふさわしくない一つの時期を早く卒業してしまうことができるだろう。(『ゲーテとの対話』)
もともとシンプルな言葉ではありますが、
それでもなお、言葉自体の意味は重く取らず
本質的なものがどこにあるかを考え、どう取り入れるかだと思うのです。
ーーーー
ハーゲンに忠告したゲーテが、そのことについて自身で語った部分。
「たしかにそうはいったがね」
「われわれ老人のいうことを誰がきくかな。
誰でも自分自身が一番よく知っていると思い込んでいる。
それで多くの人が失敗をし、多くの人が長いこと迷わねばならない。
しかし、今はもう迷う時代ではないよ。
われわれ老人の時代はそれだったんだが、
それにしても、
君たちのような若い人たちがまたしても同じ道をたどろうということになると、
いったいわれわれが求めたり迷ったりしたことのすべては
何の役に立ったことになるのだろう。
それではぜんぜん進歩がない!
われわれ老人の過ちは許してもらえる。
われわれの歩んだ道はまだ拓かれてなかったのだから。
しかし、後から生まれてくる人は、それだけ要求が多いのだから、
またしても迷ったり探したりすべきではない。
老人の忠告を役立てて、まっしぐらによい道を進んでいくべきだ。
いつかは目標に通じるあゆみを一歩一歩運んでいくのでは足りない。
その一歩一歩が目標なのだし、
一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。」
「この言葉を忘れないでくれたまえ、
そして、それが君自身と一致できるかどうか、よく考えてみることだな。」
「私のこの忠告が役に立てば、
君は今の状況にふさわしくない一つの時期を
早く卒業してしまうことができるだろう。」
ーーーー